地球環境原理主義

自然環境や地球環境を気づかいながらも人間としてよりよく生き抜く!

ゆりかごの手:詩語篇

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ゆりかごの手。

 

私が目を覚ましたのはそんな母の手の中だった。

 

ベトナムで生まれた17歳の私が最初に思い出した記憶がそれだ。

それは観光リゾート・ダナンに建設された金色の橋を見た今はっきりと思い出した。

 

なんでもないようなことが幸せだったと思うあの日を。

 

 

グラデーションの深い大きめのサングラスをかけいかつい風体が特徴の70代男性は「自分の場合」とか「親心なんですよ」とか口癖。

まるで暴力団組長のようではあるがアマチュア競技団体の理事長もしていた。

 

世間からは「新しい船に古い水夫はいらない」と揶揄されたが、何が悪いのかまったく気づいていないのでどこか無邪気でもある。

 

 

オールバックのガタイの良い若い衆(やたらと汗っかきな30代)を従えた白髪のこの男性はかつてその業界ではボス的存在だったが、実はその上には昔関取だった過去を隠して大学の理事長まで上り詰めた大ボスがいた。

 

 

彼女は少々言動が奇妙だった。

 

突拍子もない虚言を吐いたかと思えば、正論とも言える国家論なども口にする。

かつては国会議員だったようだが、今の生業はなんだかわからない。

 

51歳の彼女が若くも見えるが老けても見える。

妖艶で艶っぽさもあるが毒婦のような貫禄を見せることもある。

 

差別と偏見の塊ではあるが小学生になる娘を持つ母ということもまた事実である。

 

 

宮本川:詩語篇

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海。
空。

蒼い海。
蒼い空。

ここはどこだろう。
太平洋? 大西洋?
ずうっと広がる大きな景色。

いつから俺はここに居るのだろう。
昨日から? 去年から?

それとも...

...そうだ。
きっと俺の人生はここで終わるのだろうね。

いろいろ起こったようで
あまり何も無かったような人生だったかなぁ。

静かに眼を閉じよう。
そうすれば聞こえてくるんだろうか。
波の音や風の音や...空気の音...地球の声。

大袈裟かな...

...みんなはどこに居るんだろう。
あの空の向こう...きっとそうなのかなぁ。

やっぱり...静かに眼を閉じよう。

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1961年。

北関東の外れ、大きな街。
そのやや北の方に、宮本川は流れている。
川上には(今はもう閉山となった)炭坑。
川下には(今はもう撤去された)セメント工場。
そんな宮本川の岸辺に俺の故郷はあった。
そして1961年、そこで俺は生まれたんだ。

白黒のテレビは、俺が3~4歳の頃に家に来たんだと思う。
家族で出かけた帰り、プロレス中継(野球中継かな?)を見たくて
家に着くなり急いでスイッチを入れるが、声だけが聞こえてきて
絵はなかなか出てこない。でも巨人が負けたことだけはわかった。
絵が出たときには、上原ゆかりのコマーシャルに変わっていた。

そしてライスカレーを食べるんだ。
カレーライスじゃないライスカレー
あの頃は確かにそう言っていた。
黄色いカレー。カレー粉を小麦粉と水と塩で溶いて
ジャガイモと人参と豚肉の入った鍋に入れる。
それがルーってこと。...かならず2~3杯はおかわりしたよ。

家の裏に、大きな犬が飼われていた。
とても大人しい俺によくなついた犬だった。
首に短い鎖を巻いていて、小さな僕は彼の背中に股がり
金太郎よろしくお馬の稽古。
でも彼は嫌がらず、俺を乗せたまま家の周りくらいなら
平気で歩いてくれた。

庭には梅の木が生えていた。毎年、季節がくると落ちた梅を
母と一緒に拾った。梅酒を造っていたんだけれど、子供の
俺も飲んでいた。おそらく酔っぱらうって感覚、この頃からかな。

川向かいの家からは、よくビートルズの曲が聞こえていた。
その頃には珍しい3階建ての瀟洒な邸宅。
...でもきっと如何わしい仕事で稼いだ金で造った家なんだ、
って思っていた。2階にはホームバーカウンターがあったし
ステレオも最先端のマトリクス4チャンネルの豪勢なものだったし
車も2~3台あったし、
...でも本当は如何わしい仕事ではなかったんだと思うよ。

もちろん風呂は銭湯。
国道を渡ったところにごく当たり前に銭湯があったし
別に内風呂なんてあることが珍しかったし。

毎日、祖母が面倒を見てくれていた。
両親は共働きだったからね。

...小学校へ上がる頃、弟が生まれたんだ。
それが、きっと第2章の始まりだと思うんだ。
長い旅への第2章。

そしてあの戦争もその頃から始まっていたんだ。

 

 

その頃とは言うまでもなく、世界が誕生したその時だ。

人類が誕生した時とも言えるだろう。
そして感情が生まれたんだ。

...どうして君を好きになってしまったのだろう。

いつも通っている沿線道路は、折りからの豪雨で大渋滞。
これじゃ君の家に着くのも遅れるはずだ。

ふと見上げると時期外れの桜が舞う中、真昼の月が浮かんでいる。

...眼を凝らしてみる。

...何かが近づいてくる。

そして僕はこれから始まる長い長い戦いの幕開けを知る事となるんだ。
思わず息を呑んだ...

 

 

 

出土記:詩語篇

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長き間、その命たちは

地中深く 息を潜めて 生きてきた。


やがて朝日が昇るその日

小さな芽を開き やってくる。


その芽は ある一点を見つめ

すくすくと命を 力の限り

伸ばしだす。

それは? その意味するものは?

やがて朝日が昇るその日

やけに黄色い花が ほころび出す。

それが自然の始まりでもある。

 

 

 

創世記:詩語篇

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その頃は、まだ何も存在しない。

無という空間さえ、空という存在さえ。

しかしそれ以前は、無であり空であった。

もちろん水もなければ神を名乗る者さえいない。

漆黒の空間…いや、黒という色さえ存在しない。

そして時間さえも存在しない象限。

故に、その時がいつ来たのか?

長い間、待っていたのか?

あるいは少しの間だったのか?

とにかくその時は、突然に来たのである。




その時の始まり。




それは音の始まりであった。

音?…音とは?

万物の動く音?…風の音?



いや…



私の知らぬ時から永遠に鳴り続いていた

寸分狂わぬリズム…ビート。



そう…



すべては「音」から始まった。

 

 

田手沼の坂道、バルパライソの夕日:詩語篇

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道幅1.5mほどの市道を下った所にその家はあった。

 

昭和44年に竣工した一軒家は当時の流行でもあった圧縮パルプによって建てられた家である。

市道から渡された回廊は、およそ3mほど延び、アリゾナ杉で建造された廊下はギシギシと音を立てるがいたって元気だ。

 

両脇が絶壁となっており、常人の歩行では心持たない。

 

崖から見下ろすのは太平洋。まるでバルパライソの夕日のような照り返しに赤く染められ、しかしとても風情の在る廊下だ。

 

見下ろすその家には...そう、1頭の「龍」が棲んでいた。

 

臥龍」と称したその「龍」はいまは未だ深い眠りの中。

 

彼が目覚めるのはあと4000年後のことである。

 

 

されど我が心は満たされることもなく:詩語篇

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喘げども、君への声は届かない。

医療センターの屋根すれすれに輝く三日月がはるか上空へと
昇っていく。

なんと美しく、そしてなんと不思議な出来事であろうか。

そしてブルースはもう歌えない。例えフレディ・キングが
軽快なリフを奏でようとも、私には為す術がない。

ましてや、かつての米軍基地後には、何やら得体のしれない
大穴がゆっくりと開きだしたのはつい先日のこと。

それさえ今の私には全くといってよいほど無関心きわまりない。

一体どうしたら、人生は輝きに満ち溢れるの?

突然の渋滞に困ったかと思えば、取り締まりの警官にも
悪態をついているような善人をはたして誰が諌めることが
できるの?


人生は歩き回る影法師。

人生は動き回る果心居士。

人生は祈り続ける祈祷師。

人生は拝み続ける創価学会

人生はアジり続けるビン・ラディン

人生はとぼけまくるジョージ・ブッシュ


Hey ジョージ!

歌ってよ!夕日の歌を。

歌ってよ!あの日の歌を。

歌ってよ!魂の叫びを。

歌ってよ...

血のように真っ赤な夕日に染まった油井の為に
一家の威信を懸けたあのカラオケを。

♪私は街の子、巷の子。
そして私は...越後獅子

 

 

トキワの空:詩語篇

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憂春のトキワの空には一団の雪雲が通り過ぎていった。

それは国分運動場から母校へ続く道すがら。

 

降り続く粉雪はやがて吹雪のように我が身を打つ。

一時ほどで雪は上がったがどうやら右足が痛い。

蛇行するこの道のせいだろうか、あるいはこれまで歩いてきた人生のせいであろうか。

夕暮れ迫るトキワの空には、大怪獣の陰影が似あう。

闇に迫る大怪獣は雄叫びを上げて迫り来る。

それは20年前の帯広から士幌へ続く道での光景に似ている。

あの時も夕暮れの中に大怪獣の雄叫びを聴いたような気がする。

しかしそれも束の間。

 

一時の感傷は全ての行いを無に帰する。

喉元をすぐれば元の木阿弥ということ。