地球環境原理主義

自然環境や地球環境を気づかいながらも人間としてよりよく生き抜く!

ポスト・デモクラシー

今、なぜ生き辛いのだろう?と考えてみた。

 

性別や年齢のせいではなく、ましてや国家や人種のせいでもないと仮定した場合のことである。

 

日本では戦後70年を過ぎ、国の違いはあれど世界各国が近代国家になったのも200年はとっくに超えている。(アメリカ独立戦争は1775年)

 

崩れ出し腐りだしている「現代」をもうそろそろ疑うべき時ではないだろうか?…ただし疑うのは「国家」や「政治」ではなく「市民としての生き方」だ。

 

1961年生まれの私は「民主主義」という時代に生まれ生きてきた。疑うことなくそこには「民主主義」しか選択肢はなかったし、他に知っていたのは「社会主義」くらいである。

 

そもそも「主義(イズム)」というものも疑う必要がある。←まぁこれ自体も主義の一つなのかもしれないが…

 

とにかくである、そろそろ「現代」から脱却するポスト・モダンとしての「ポスト・デモクラシー」は何なのかを探し見つけ育てていかなくてはいけないと思っている。

 

それはただの「レッテル貼り」なのかもしれないし、「暮らしの価値を見直す」とか「生活態度を変える」とか「生活環境を変えてみる」程度のことなのかもしれないが、しかし「主義(イズム)」に相対するものも含めて、もう少し探求や追究をしてみようと思う。

 

生きていく「テーマ」とはそんな観点から見えてくる気がしている。